どうも!ブランドクリエイターの中江です。今回は「石田梅岩の思想」というテーマでお話していきたいと思います。
「石田梅岩って、どんな人?どういう思想を持っていたのか知りたい」という人は多いんじゃないでしょうか?
石田梅岩といえば、江戸時代に、商人道を中心とした思想を大阪と京都を中心に説いて回った、日本を代表する思想家の一人です。
この梅岩の思想の影響力は、本当に凄まじいものがありました。
この当時の日本は、「士農工商」という身分制度があった時代ですが、身分の差、性別の差関係なく、全国に広がります。
たった、一介の商人に過ぎなかった梅岩に教えを請おうとした、51藩の大名がいたほどですし、国公認の学問所が220に対して、梅岩の私塾が全国に180箇所近くもあったことを知れば、どれだけ日本に影響力があったのか理解できると思います。
石田梅岩の思想は、日本を代表する多くの老舗企業にも取り入れられていますし、経営の神様・松下幸之助さんも生涯にわたって尊敬し、学んだと言われるほどです。
というのも、石田梅岩の思想は、日本型経営の礎となる思想だからです。
日本型経営とは何かというと、「長く繁栄していく経営」のことです。
帝国データバンクの統計によれば、日本において創業百年を超える「100年企業」の数は約2万6千社もあります(2013年8月現在)。
2位のドイツは数千社規模なので、日本はダントツで1位です。
創業100年といえば、昭和恐慌、世界大戦、ニクソン・ショック、石油危機、バブル経済の崩壊、リーマンショックなどなど、数々の時代の大きな荒波を乗り越えてきたというのだから、その凄さはわかるはずです。
彼が説いた思想は、今でも十分に通用するものです。
今回はこの石田梅岩の思想や生い立ちなどについて徹底的に解説していこうと思います。
では、早速始めていきましょう。
Contents
1.石田梅岩とは
まずは、石田梅岩の思想についてお話しする前に、石田梅岩の生い立ちについて簡単にお話していきたいと思います。
石田梅岩は、1658年(江戸時代の元禄から享保の時代)、京都の東懸村(現亀岡市)に比較的裕福な農家の次男に生まれました。
元禄から享保の時代というのは、徳川幕府の治世が安定し、農産物の生産性の向上や流通システムの整備により、商業社会が広く成立した時代でもあります。
幼い頃は家業の手伝いをして過ごしていましたが、次男だったこともあって、11歳の時に、京都のとある呉服屋に奉公に出されることになります。
奉公に出ることが決まった時には両親から
商家の主人のことを親と思って使えるように
と言われ、一切の不平不満を言わずに、必死に働いたそうです。
ですが、15歳の時に、この奉公先の経営状態が悪くなり、それを聞いた父親は一旦、梅岩を実家に戻すことにします。
その後、8年間は、実家で農業の手伝いをしながら過ごし、23歳の時に、京都の呉服屋の黒柳家に再び奉公に出ることになります。
正直、奉公するのが23歳の頃というのは非常に遅い年齢です。
もうその頃には、先に10年も15年も前に奉公している同じ年齢の人がいるので、普通は、出世は望めません。
ですが、梅岩はそこの奉公先でひたすら真面目に働き、丁稚から手代、そして最終的には、店を任される最高位の番頭にまで上り詰めました。
その働きぶりは誰もが認めており、店の一切を取り仕切っていた女主人が
梅岩の将来を楽しみにしていたのに、それを見ずに死ぬのは残念だ
と言うほどだったそうです。
梅岩は、この商人として働いていた時期に、ただ仕事だけをしていたのではなく、勉強もしていました。
呉服屋の仕事が忙しいので、誰かに弟子入りすることは不可能だったので、勉強といっても、読書になります。
梅岩は、四書五経や神道の本などを、朝は誰よりも早く起きて読んで、仕事が終わり、皆が寝静まってからも読んでいたそうです。
この独学の勉強で、梅岩は、自分自身の思想を培っていきます。
そして、奉公先を20年間勤め上げた後に、店を辞めて、自分の思想を講義という形で披露するという活動を始めました。
最初は、自宅の一間を解放して、無料の講義を開始します。
もちろん、最初はただの一介の商人が講義をするので人は集まらなかったそうですが、梅岩の知識量や経験や思想は本物だったので、徐々に聴衆の数は増えていきました。
石田梅岩の存在は、京都だけではなく大阪にも広まり、熱心な信奉者や、門下生と言われる弟子も数多く現れました。
精力的に講義活動を続ける中で『都鄙問答』や『斉家論』の2冊を執筆し、60歳でこの世を去りました。
石田梅岩の死後、その思想は、一番弟子でもあった手島堵庵を中心に、男女の差別なく、身分の差別なく、全国に広がっていきます。
その広がり方は、とても凄くて、当時、藩が作った公認の学問所が全国に220箇所あったのに対して、梅岩の心学を学べる私設塾は、180箇所あったと言われています。
2.石田梅岩の思想
では、続いて、石田梅岩が打ち立てた思想について見てきたと思います。
2-1.商人は正直で誠実であれ
石田梅岩が生きた江戸時代というのは「士農工商」という身分制度がありました。
その中でも、商人というのは、欲深く、利益を追求する、賤しい存在として蔑まされていました。
というのも、商人の仕事は、他人が作った品物を仕入れて、そのまま売ること、つまり、左から右に品物を流すだけで、利益を上げているという風に見られていたからです。
この左から右に流すというのは、社会にとって「流通」という非常に重要な役割を担ってはいるのですが、当時は、江戸時代で、そういう概念すらない時代だったのです。
だから、商人は
- 何も生み出さないのに利益を横取りする存在
- 客を騙して、利益を貪り取る存在
という厳しい見方がされていたそうです。
そんな中で、梅岩は商人の正当性を説いて回りました。
梅岩は商人が利益を上げることに対してこう述べます。
商品を売って利益を得るのは、商人として当然の道である。仕入れ値で売るのが商人の道ということは聞いたことがない…商人の売買の儲けは、武士の俸禄と同じ。儲けのないのは、武士が俸禄を受けずに出仕するようなものだ。(石田梅岩『都鄙問答』より)
まず、商人があげる利益というのは正当なものだと述べます。
もし、商人が利益を挙げれなければ、商人という存在自体が社会からいなくなってしまいます。
そうすると、世の中に、物や金を流通させる担い手がいなくなり、社会全体は衰退していきます。
士農工商の四民は、世の中がうまく治るように力を尽くさないといけない。四民のどれか一つが欠けても、他の身分で補うことができない。四民を統治するのは、主君の仕事である。その主君をや助けるのが四民の仕事だ。士は、元来、「位の高い臣」として位置付けられている。農民は「草莽の臣」で、商人と職人は「市井の臣」だ。どの臣も主君を助けるのが道である。商人が品物を売買するのは、世の中がうまく回っていくのを助けるためだ。(石田梅岩『都鄙問答』より)
士農工商の四民は、それぞれの身分に応じて、役割があり、社会の繁栄・発展のためにどれ一つ欠けてはならないのです。
だからこそ、商人というのは、利益を挙げるのは当然なのです。
ただし、商人というのは、利益を挙げるに当たって、「商人としての道」を学ばなくてはなりません。
この「商人道」を学ばなければ、商人は、利益を追求するだけの欲望の奴隷となり、結果的には自分の身も破滅させることになると述べます。
商人としての正しい道を知らない者は、利を貪ることにのめり込み、かえって家を潰してしまう。それに対し、商人としての道を悟れば、欲得ではなく、「仁」を心がけて仕事に励むので、家は栄える。そのようにするのを「学問の徳」としているのである(『魂の商人石田梅岩が語ったこと』山岡 正義)
梅岩は商人の道に外れている行為として「二重の利益」というのものを挙げて、徹底的に批判しています。
例えば、呉服屋が絹と帯を、織元業者から仕入れる時に、正規の長さより一寸(3~6センチ)短いものがあったとします。
この場合は、織元業者は正規の長さよりも短いということで値段が割り引かれます。
ですが、一寸というのはぱっと見でわからないので、呉服屋が持ち帰って自分の店で売る時に、定価の値段で販売することもできますが、そうすると、二重の利益になってしまいます。
仕入れた時に割り引かれているのにも関わらず、他の商品と同様の値段で売るんですから。
こういう行為を梅岩は批判します。
まず、商売で求められるのは「正直」という姿勢です。
上記のように二重の利益を取るような行為を日常で行っていれば、必ず、評判や信用が落ちていくものです。
ちゃんと目利きが出来る人が見れば、一寸短いことは分かるでしょうし、それで二重の利益を取っていることもバレてしまうでしょう。
その時の被害は甚大で「もう絶対にここで買わない」と思う人も出てくるでしょうし、さらにそう思った人は、自分の知り合いに口コミして回ります。
利を貪ることにのめり込むと、家を潰すことになるというのは、こういう訳です。
石田梅岩は商人としてあるべき姿をこう説きます。
あれこれと言葉を使って相手を言いくるめようとするのでは、良い商人とは言えません。何事もありのままにいうのが良い商人なんです。自分に他人の誠実・不誠実が明らかなように、自分の誠実・不誠実を他人は簡単に見抜くものです。このことに気づかない人が多い。この道理を心得ていれば、言葉を飾らず、ありのままにいうのが常となるので、あいつは正直者だと人から信用され、その結果、よその倍売ることも可能になるのです。人に正直だと思われ、人から警戒されない人間でなくては、商人として決して成功はしないものです。(『魂の商人-石田梅岩が語ったこと』山岡正義)
僕は、この前、東京に行ってて、六本木の方までタクシーに乗ったんですが、このタクシーの運転手の方はとても「正直」な人でした。
この運転手の人は、目的地までのルートを少し間違って、当初の予定よりも少しだけ遠回りのルートになってしまったんですね。
ただ、僕は今、大阪に住んでいて、東京の道にそこまで詳しくないので、間違ったことは言わなくても十中八九バレません。
荷物を持っていたので、身なりからも確実に東京以外の地域から来ていると確実にわかっていたはずでした。
でも、この運転手の人は「ごめんなさい。少し道を間違えてしまったので、ここでメーターを切っておきますね。」と言ったんです。
そういう言葉や行為をかけてくれるこの運転手の人に僕自身、非常に好感を持ったし、何かタクシーに乗るときは、このタクシー会社を利用しようかなと思うものです。
正直というのは、仕事や人に向き合う姿勢(在り方)が誠実であるということです。
上手くいっている企業ほど、この正直さがあります。
例えば、全国で様々な宿泊施設を運営していて、2年連続で「日本ホテル宿泊客満足度調査」で第1位を獲得した、星野リゾートもそうです。
星野リゾートの発祥は軽井沢で、ホテル、旅館に加えて、別荘がありました。
その別荘に宿泊する人のお食事専用に、村民食堂という施設がありました。
そんな村民食堂に「もうおたくには二度と行かない」というクレームの電話が一本かかってきました。
その電話をかけてきた方は、いつも焼酎の水割りと天ざるを注文される方で、水割りを飲み終わる頃に天ざるが運ばれてくるのを楽しみにしていたお客さんでした。
ところが、その人が村民食堂にいったときは、スタッフの不手際が相次ぎ、水割りではなく、口がつけるのが難しいほど熱いお湯割が運ばれてきたそうです。
その人は、仕方なく、お湯わりが冷めるのを待っていたのですが、冷め終わる頃には蕎麦が伸びきってしまって、今回の電話に発展しました。
店員のミスとしては、水割りではなく、お湯割りを持っていっただけです。
誰でも起こしそうな何気ないミスです。
通常の企業の対応であれば、電話越しで謝って終わらせるのが普通でしょう。
でも、星野リゾートは違います。
その事件が起きて、現場の責任者、スタッフ、代表の星野社長の間で、誠意ある対応を考え、その翌日の午前に、電話をかけてきたお客さんの家まで行って、直接謝罪をしたそうです。
そのお客さんは、直接、家にまで謝罪にくることのスピード感に驚き、問題点も丁寧に説明してもらい、納得したみたいでした。
ただ、星野リゾートの対応はここで止まりません。
謝罪が終わった後に
「本日は蕎麦と天ぷらの材料、道具を一式お持ちしております。焼酎もお持ちいたしました。調理スタッフも一緒に来ています。改めてここでメニューをお楽しみいただきたいのです。その準備のために台所をお借りさせていただきたいのですが」
と、サービスのやり直しをしたいと申し出たのです。
そして、その後、実際に村民食堂で出している天ざると焼酎を出して、そのお客さんからは終始笑顔があふれる楽しい昼食になったそうです。
最後には「またぜひ、蕎麦を食べに村民食堂に行くよ」と話してくれたそうです。
こんな宿泊施設だったら泊まってみたいと誰もが思うはずですし、良い口コミだっていっぱい起こります。
これは「正直」という姿勢があるからこそ起きることです。
日本は、物事に対する善悪の基準を外側ではなく、内側に求めます。
外側というのは、法律やルールのことで、内側というのは、心のことです。
基本的に日本以外の国は、善悪の基準を外側に求める場合が多いです。
だから、法律に抵触していなければ、善であり、触れていれば悪であるという考え方になります。
そういう企業であれば、どういう対応の仕方になるのかというと、マニュアルを作り、マニュアル通りの対応をするように従業員に指示します。
恐らく、今回と同じケースが起こったとしても、電話で当たり障りのないように謝罪し、対応して終わりということになります。
でも、そんな対応しかできない企業を本当に心の底から応援したり、ファンになったりすることはありません。
だからこそ、正直さというのは、商売における繁栄の道なのです。
それを石田梅岩は説いたのでした。
2-2.倹約こそが繁栄をもたらす
また、石田梅岩は、倹約の重要性についても説きました。
倹約も正直と同様に繁栄していくために非常に重要な概念です。
倹約というのは、例えば「三つ必要なものを二つで済むように工夫すること」です。
そうすることによって、経済的な余裕が生まれていきます。
ただし、重要なのは、この経済的生まれたお金を何に使うかです。
- 自分の欲望を満たすために使う
- 人や社会に尽くすために使う
梅岩は、自分の欲望を満たすための倹約を真の倹約とは言わず、これはただのケチであると言います。
というか、そういう目的でする倹約は、自らの身を滅ぼし、繁栄の道から大きく遠ざかるものになります。
例えば、ある会社の社長が、自分が海外旅行に行って、豪遊するために、会社にかかる経費を削ろうとしたとします。
社員食堂で出す食材の質を下げ、エアコンもあまりつけないように指示し、残業代も払わないという方針に切り替えたとします。
恐らくそうしてしまえば、社員の反感を買い、さらにそれが経営悪化によるものではなく、社長自身が海外旅行で豪遊するためとわかった日には、社員は、どんどんこの会社をやめていくと思います。
一方で、社会や人に尽くすために使うとどうなるでしょうか?
社員食堂の食材の質や料理人の質を上げ、社員が良い環境で仕事ができるように仕事場を整えたり、社員旅行に連れて行ってあげたり、給料を上げてあげたりすれば、きっと、この会社の社員は「この会社のためにもっと頑張ろう」と思えるはずです。
自分が人のため社会のために尽くすという行為は、必ず自分にも返ってくるので、善い循環が起きます。
また、倹約することによって、人は本来持っている「正直な心」も取り戻すことができると梅岩は説きます。
倹約を主張するのは、人間が生まれながらに持っている本然の正直に返したいがためです。天命によってこの世に生を受けた人間は、もともと全て天の子です。だから万民はそれぞれ平等で一個の小天地のようなものなのです。小天地であるからこそ本来、不動で惑わされることもなく、また私欲もないはずです…私欲を離れて、あるがままに処理することが正直というものです。その正直をそれぞれが実践すれば、世間に生きる者はみんな仲良くなり、世界中の人々も兄弟のようになるでしょう。(『魂の商人石田梅岩が語ったこと』山岡 正義)
「正直さ」というのは、人間は本来、誰でも持っているはずですが、大抵の人は欲望の奴隷になり、失ってしまっています。
特に今の時代はそうです。
西欧的な価値観が入り、「消費こそが幸せ」だという価値観が蔓延しているからです。
例えば、起業する目的が「経済的自由と時間的自由を手に入れるため」という人は非常に多いです。
要するにこれは、お金を儲けて、時間の自由も手に入れて、自分のために好きなだけ、海外旅行、車、家、ブランド品、洋服、異性などに使えれば、それこそが幸せという状態ですね。
でも、この行き着く先は、「お金こそが全てであり、自分さえ儲かれば、何をしても良い」という状態になります。
お客さんに対しても、パートナーに対しても、下請け企業に対しても、同じ業界の企業に対しても、そういうスタンスで付き合うようになります。
でも、そういう状態になってしまえば、商売が長続きしないのは目に見えています。
商売で重要なのは、いかに私欲を離れることができるかです。
先ほどの星野リゾートの対応などはまさにそうです。
どこの企業が「たった一つのお客さんの注文のミス」に対して、あそこまで相手のことを思って、誠実な対応を取ることができるんですかね。
でも、だからこそ、あのお客さんは「また必ず行きたい」と言ってくれたはずなんですよね。
私欲を離れた行為に対して、人は共感し、動くんです。
世のため人に尽くすための倹約というのは私欲を離れる行為の何ものでもありません。
伊藤忠商事の創業者の伊藤忠兵衛は、「三分利益」という制度を作り、このことを実践していました。
「三分利益」とは、店で上がった利益は
- 主人
- 奉公人
- 将来の不測のための備え
で、それぞれ3分の1ずつするという制度です。
これは江戸時代では珍しいことでした。
特に奉公人に対して利益を分配するということろはそうですね。
というのも、奉公人というのは、住み込みで、商売の基礎を叩き込んでもらう代わりに、給料は全然もらえないというのが普通だったからです。
この制度は、私欲に取り憑かれて、自分の利益のことばかり考える経営者からすると、「あり得ない」制度です。
というのも、単純に経営者としての自分の儲けが減ってしまうからです。
でも、伊藤忠兵衛は、この三分利益を採用したことによって、大きな恩恵を受けることになります。
というのも、三分利益を採用したことによって、頑張れば頑張る分だけ、奉公人は自分の給料が増えると確信し、より熱心に業務に励んだからです。
それによって、事業もさらに拡大していきました。
また、伊藤忠兵衛は「牛鍋の日」という日を月に何回か設けて、奉公人にすき焼きを振舞ったり、時には芝居に連れて行ったり、相撲を見に連れて行ったりしながら、部下との関係性をより深めていったそうです。
当時であれば、最終的には店を独立していくのが普通ですが、忠兵衛は奉公人から絶対的な信頼を確立したので、非常に有能な人材を自分のところに抱えておくことに成功しました。
また、将来の不測のための備えもしているので、災害や、経済危機が起きたとしても、柔軟に対応することができます。
そういう商人は、人としての温かみがあり、目の前の人のことを大切にし、だからこそ、信用され、繁栄していくことができるのです。
商売をし、欲望に取り憑かれるとそういう心を忘れてしまいがちになります。
だからこそ、倹約は重要なんですね。
2-3.天地自然に即して生きる
石田梅岩の主著『都鄙問答』の冒頭は以下の言葉から始まります。
この天地はなんと広大無辺なものであろう。あらゆるもの一切が天から生成され、その秩序が全てを根元で支配している。雲が流れ、雨が降り、万物の姿と形が作られ、しかも点はいっときも静止することなく、絶えず変化し続けており、生きとし生けるもののおのおのあるべき命をそれぞれに生かしている。この天が与える楽しみは実にはかり知れない面白さに満ちている。それ以上、付け加えるものは何一つしてない。(『魂の商人石田梅岩が語ったこと』山岡 正義)
神道、四書五経などありとあらゆる学問を勉強し続けて、梅岩が辿り着いた境地はこうです。
つまり、天地は完全であり、その天によって万物の姿と形が作られます。
そして、その万物は、それぞれ「性」という天地自然の理を授かり、その理に従って生きるからこそ、命が最も輝き、お互いを生かし合い、調和のとれた世界を作ることができます。
逆に言えば、万物が「性」という天地自然の理に沿って生きないときは、衰退・消滅へと向かうということです。
これが石田梅岩が悟った境地でした。
では、人における天地自然の理とは何か?
それは職分です。つまり、その職で全うしなければならない役割です。
その職分を追求することは、この世界の繁栄・発展に繋がります。
それはどんな職業にもあります。
僕のようなデザイナーであれば、世の中に多くの人にとって価値のあるもの、助けになるもの、役立つものを広めていくという役割を担っているのだと思います。
もし、本当にそういった商品・サービス、会社、お店、個人をデザインを通して広めることができれば、それはこの世界にとっての繁栄・発展に繋がって行くでしょう。
でも、逆に、この職分を見誤ってしまえば、衰退・消滅に向かうということです。
例えば、デザイナーであれば、
- 真の価値を伝えない、綺麗なだけの自己満足のデザインを作り続ける
- デザインは、お金を儲けるための手段とだけ考える
- 多くの人を不幸にする商品・サービスを広める手伝いをする
などですね。
人間だけが持つ私欲にかられてしまえば、いとも簡単にそういった考え方で仕事をするようになります。
でも、それは破滅への道です。
例えば、真の価値を伝えない綺麗なだけの自己満足のデザインを作るということをやれば、お客さんにとって満足のいく成果というのは望めないので、仕事の依頼というのは二度と来なくなります。
ただ、自分が儲けることだけを考えて仕事をし、お客さんや仕事仲間から搾取してしまえば、人は自然と離れていくでしょう。
万物というのは、関係性の中でしか成り立ちません。一個体として完全なものなど存在していません。
だからこそ、万物にはそれぞれを活かし合うための役割があり、それに沿った生き方にこそ、本当の幸せや心の平安があるのです。
そして、石田梅岩は、この天地自然の理の獲得することこそが学問をする目的だと語りました。
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まとめ
では、最後にまとめをしておきたいと思います。
今回は石田梅岩の生い立ちから、主となる以下の思想について取り上げました。
- 商人は正直で、誠実であれ
- 倹約こそが繁栄をもたらす
- 天地自然の理に即して生きる
梅岩が説いたのは、商売人として、人として本当に繁栄・発展するための道です。
繁栄・発展するためには、いかに、私欲を離れて、天地自然の理に即して生きることができるかが問われます。
どんな職業についていても、どんな状況に置かれていても、万物を生かし合うために、人にはそれぞれなすべき役割が与えられています。
その職分に対して、どれだけ正直で誠実に向き合い、実践できるかどうかが繁栄・発展するか、衰退・消滅するかが決まります。
では、今回は以上になります!
お疲れ様でした!